慶應×東京歯科の統合協議6年で終結——少子化時代の私大法人合併を成功させる条件
慶應義塾大学と学校法人東京歯科大学が2020年に開始した統合協議が、2026年4月30日をもって終結した。慶應義塾側は「教育・研究・医療を取り巻く環境の大きな変化などを総合的に判断した結果」として協議打ち切りを発表し、今後は「独立した法人として歴史的なゆかりを踏まえた交流を維持する」と述べた。当初2023年4月合併・慶應歯学部設置を目指して始まった交渉は、6年を経て成果なく幕を閉じた。
この協議終結が単独大学の出来事で終わらないのは、少子化を背景に文部科学省が私立大学法人の合併・統合を政策的に促進しつつある局面と重なるからである。「どうすれば合併は実現するか」を問う前に、「なぜ6年かけて頓挫したか」の構造を読み解くことが、今後の合併交渉を経営課題として考える大学にとって有益な出発点となる。
1. 要点:何が起き、なぜ頓挫したか
協議は2020年に学校法人間の合併を軸として始まった。計画の骨格は「東京歯科大学歯学部を慶應義塾大学に統合し、慶應に歯学部を設置する」というもので、総合大学として医・看護・薬に歯を加える慶應側の補完戦略と、強大な親法人のもとで安定経営を目指す東京歯科側の生き残り戦略が合致した構図だった。
2021年、両法人はコロナ禍への対応を理由として(慶應義塾2021年11月発表)スケジュールを見直し、「期限・めどを設けずに協議を継続」という方針へ転換した。この時点で協議は「期限なし」の長期戦に移行した。
その後、問題をさらに複雑にしたのが東京歯科大学市川総合病院の経営危機である。同病院は2023年度・2024年度と連続して大幅な赤字を計上し、2024年度の赤字額は約16億5,300万円に達した。経営維持が困難となった病院は、地域医療継続と教育機能存続を条件に、2025年12月に学校法人国際医療福祉大学への無償事業譲渡が決定された(2026年4月1日移行完了)。合併の対象だった法人の主要資産が、交渉相手でない第三者法人へ先行移管された形である。
慶應義塾が2026年4月30日に協議終結を宣言したのは、こうした状況が積み重なったうえでの判断とみられる。
2. 政策文脈:合併を「促す」から「要求する」へ
今回の協議終結と時期を同じくして、文部科学省の私立大学政策は新たな段階に入っている。
2025年4月、文科省の「2040年を見据えて社会とともに歩む私立大学の在り方検討会議」は、経営状況が悪化した私学等に対して「経営改革計画」の策定を求め、それを私学助成の交付要件とする方向性を示した。原則5年で改善が見込まれない場合は統合・撤退を勧告・公表するとされている。「支援・促進」から「要件・勧告・公表」への政策転換である。
また同会議では、学部・学科の新設審査を厳格化する方針も示されており、規模拡大よりも経営の持続可能性を優先する方向性が明確となっている。
これは「合併・統合は自発的に進む良い取り組み」という時代から、「一定条件下で求められる経営行動」へと位置づけが変わりつつあることを意味する。理事会の判断軸も変わる必要がある。
3. 実務への3つの影響
① 「長期漂流リスク」は合併失敗の典型パターンになった
今回の協議は6年間のうちに何度も状況が変化し、最終的に合意できなかった。長期化した協議の間に生じるコストは可視化されにくい——経営幹部のリソース拘束、職員や教員の将来不確実性、採用・投資の停滞、「不安定な大学」というシグナルの発信。合意に至らなかった結果が明らかになって初めてこのコストが表面化する。「交渉継続はリスクの先送り」という認識を理事会が持てるかどうかが、次の合併協議に臨む際の重要な経営課題となる。
② 附属病院の経営問題が合併交渉の「爆弾」になる
今回の最大の教訓の一つは、附属病院の経営危機が合併交渉そのものを複雑化させた点にある。市川総合病院の約16.5億円の赤字は、病院単体の問題に留まらず、合併相手としての東京歯科大学の法人価値を著しく毀損させた。歯科系・医療系大学の附属病院をめぐる財務問題は業界全体で進行しており、「病院問題を棚上げした合併交渉」は再び同じ轍を踏む。付随課題を本体交渉と分離して先に解決する設計が必要である。
③ 「受け皿型合併」では文化・ミッション差が障壁になる
慶應×東京歯科の協議は、一方が他方を吸収する「受け皿型」の構造だった。この場合、組織規模・ブランド・研究文化・人事制度の差が根深い障壁になる。病院の行き先が第三者法人(国際医療福祉大学)に決まった経緯は、東京歯科大学が自法人の継続よりも教育・医療ミッションの継続を選んだことを示している。合併相手の「何を守りたいか」を丁寧に読み取らずに設計した交渉は、長期化か破談かの二択になりやすい。
4. 経営層の3つの準備
第一に、合意期限と「不合意時の行動計画」を協議開始時に決める。「期限なし」で続ける協議は組織に慢性的なストレスをかける。交渉開始時に「〇年〇月までに基本合意なければ協議終結」という条件を明示し、同時に終結後の単独経営強化策を用意しておくことが長期漂流を防ぐ。これは破談を招くのではなく、双方の意思決定を加速させる。
第二に、附属病院や附属学校等の「周辺資産の経営診断」を合併前提交渉の前段に置く。主目的の学部・研究機能統合と、附随する病院・附属校等は分けて議論する。合併後に経営問題を引き継がない設計(事前の第三者譲渡・切り離し等)を交渉条件に組み込むことで、交渉の複雑度を大幅に下げることができる。
第三に、文科省の経営改革支援スキームを能動的に活用する。2025年度から整備が進む私学経営改革支援スキームは、勧告を受けてから動くより、自発的に計画を作って申請するほうが経営主導権を保てる。先手で合併・連携の構想を整理し、文科省の支援スキームに乗せることが実質的なリスク低減につながる。
結び
「合併に合意できなかった」という結果だけを見るのではなく、「6年かけて何が起きたか」を分析することに実務価値がある。今後、統合再編の圧力を受ける法人は確実に増える。慶應×東京歯科の事例が示したのは、「戦略的に正しい組み合わせ」が「成立する合意」を保証しないという現実である。交渉設計、タイムライン管理、周辺課題の分離処理——これらを最初から経営課題として組み込んだ法人が、次の時代の統合で主導権を持てる。
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参考資料
- 学校法人東京歯科大学との統合等に関する協議終結について(慶應義塾、2026年5月1日)
- 東京歯科大学の歯学部の慶應義塾大学への統合および法人の合併についての協議の状況に関するお知らせ(慶應義塾、2021年11月25日)
- 東京歯科大学市川総合病院の事業の譲渡について(東京歯科大学、2025年12月)
- 慶應義塾大学と東京歯科大学の統合 合意に至らず協議を終了(大学ジャーナルオンライン)
- 私大経営、合併や撤退を支援…学部新設を厳格化へ(文部科学省 私立大学の在り方検討会議、2025年4月24日)
*本レポートは2026年5月13日時点の公開情報に基づき作成しています。* *株式会社UB研究所*
